本路線の建設にあたっては、保津川への土砂流出の防止や風光明媚な景観の保持など、景観保護上のさまざまな制約が課されました。石材には鹿谷産のものを使用し、その大きさまで指定されるなど、自然景観との調和が強く求められていました。また、資金や資材の確保にも多くの工夫が重ねられました。砂利には保津川宇津根大橋下流のものを用い、まくらぎには丹波北桑田産を採用、レンガは旧丹波亀山城内に設けた工場で製造されたと伝えられています。さらに、石積みの一部には、廃城となっていた丹波亀山城の石垣が用いられているともいわれています。こうした痕跡は路線の各所に残されており、建設当時の時代背景を今に伝えています。
トンネル(全9箇所のうち8箇所)は、ほぼ明治32年(1899)の建設当時の姿を今に伝えている。各坑門にはそれぞれ異なる装飾が施され、格調高い意匠性を備えている点が特徴である。また、東西の坑口でレンガの積み方を変えたトンネルもあるなど、保津川渓谷の景観を意識や当時の施工技術の高さがうかがえる。
明治時代に架設された鉄桁の多くには、昭和期の列車荷重の増大に対応するため、下吊補強や溝形補強などが施されています。明治期の鉄道橋としての姿をとどめながら補強を重ねてきたこれらの構造物は、長年にわたる維持管理の歴史を現在に伝える貴重な遺構となっています。
当該路線では、斜面崩壊や落石などの自然災害がたびたび発生してきました。その都度行われた復旧工事の痕跡が現在も残されており、路線の歴史の一端を物語っています。さらに、斜面崩壊や落石への対策として、石積土留壁のコンクリート補強、落石覆い工の新設、落石防止柵や土留擁壁の設置など、多くの防災工事が実施されてきました。これらは、災害に向き合いながら鉄道を守り続けてきた防災の歴史を今に伝えています。
嵯峨〜園部間の鉄道が開通(現在の嵯峨野観光鉄道線)
亀山トンネルをはじめ多くの鉄道構造物が完成する
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明治32年(1899)に京都鉄道が建設した鉄道トンネル。レンガ造、馬蹄形の単線断面トンネル。保津峡の入口を飾る堂々たる構えのトンネル。東西の坑門でレンガの積み方の違いや翼壁として延長38.35m最大高さ9.40mのイギリス積みレンガ造による重力式の土留壁を備えるが特徴。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した鉄道トンネル。レンガ造、馬蹄形の単線断面トンネル。保津川橋りょうに接続する東口の坑門は翼壁も含め全て江戸切仕上の石材を用い、凸形のパラペットを付けて、近衛篤麿揮毫の扁額を飾る。重厚かつ記念碑的な外観のトンネル。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した鉄道トンネル。レンガ造、馬蹄形の単線断面トンネル。レンガ積の西口の坑門はアーチ部の一部に長手方向のレンガを挿入した竪積とし、頂部のデンティルなど、丁寧なつくりの旧トンネル。
昭和4年(1929)国鉄が建設した鉄道トンネル。コンクリート造、断面は新中間型。線形改良工事で旧鵜飼第一トンネルの山側に新設された鉄道トンネル。昭和27年に東側を15m、昭和34年に西側を13m延長。トンネル中間部に新中間型の断面が残る貴重なトンネル。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した鉄道トンネル。レンガ造、馬蹄形の単線断面トンネル。東西の坑門はレンガ積でアーチ部に竪積を用い、頂部の4ヶ所に持送形のレンガ積を施す。小規模ながら独特な意匠が特徴。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した鉄道トンネル。レンガ造、馬蹄形の単線断面トンネル。東西の坑門はいずれもレンガ積で帯石壁柱は付けないが、頂部に鋸歯状の帯を設けて外観を整える特徴。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した鉄道トンネル。レンガ造、馬蹄形の単線断面トンネル。東西の坑門は壁柱・帯石形を付したレンガ積で、特に東口の坑門は鋸歯状の帯を設け、矢筈積の胸壁にトンネル名の文字を有する。本線最長のトンネルに相応しい意匠で丁寧なつくりが特徴。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した鉄道トンネル。レンガ造、馬蹄形の単線断面トンネル。東西の坑門はいずれもレンガ積で、壁柱・帯石・笠石形をあしらうのが特徴。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した鉄道トンネル。レンガ造、馬蹄形の単線断面トンネル。東西の坑門はレンガ積で壁石・帯石・笠石形をあしらい、保津峡出口にある西口の坑門は扁額枠と鋸歯状の帯で飾る意匠が特徴。
橋台は明治32年(1899)に京都鉄道が建設、上部工は昭和4年(1929)に架替えられた支間85m、単線桁の大規模な曲弦ワーレントラスを隅石・帯・笠石を丁寧にあしらう石造及びレンガ造の橋台が支える。保津川本流に架かる本線唯一の橋で保津峡の近代化を物語るランドマーク的存在。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した橋りょう。上部工は、支間9.60m、上路プレートガーダ。腹板の補剛材は上下端を折り曲げたポーナル桁(イギリスの設計)に、昭和10年に「溝形下吊併用補強」と呼ばれる溶接補強を施していることが特徴。
昭和26年(1951)に東海道本線大府~刈谷間に架かっていた境及逢妻川橋りょうのうちの1連を転用した橋りょう。転用時、支間21.34mの上路プレートガーダの両端を切断して、支間16.08mに短縮し、一部に補剛材などを新たに追加している。腹板の補剛材は上下端を折り曲げたポーナル桁(イギリスの設計)が特徴。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した橋りょう。橋台は重力式のレンガ造(イギリス積)。上部工は、旧京都鉄道式鈑桁のうち、支間6.55mの上路プレートガーダで補剛材は上下端を折り曲げたポーナル桁が特徴。昭和11年に上下のフランジ外側に溝形補強を施していることが特徴。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した橋りょう。橋台は重力式のレンガ造(イギリス積)。上部工は、旧京都鉄道式鈑桁のうち、支間9.06mの上路プレートガーダで補剛材は上下端を折り曲げたポーナル桁が特徴。昭和11年に「溝形下吊併用補強」と呼ばれる溶接補強を施していることが特徴。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した橋りょう。橋台は重力式のレンガ造(イギリス積)。上部工は、旧京都鉄道式鈑桁のうち、支間12.80mの上路プレートガーダで補剛材は上下端を折り曲げたポーナル桁が特徴。昭和11年に「溝形下吊併用補強」と呼ばれる溶接補強を施していることが特徴。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した橋りょう。橋台は重力式のレンガ造(イギリス積)。上部工は支間9.60mの上路プレートガーダで補剛材は上下端を折り曲げたポーナル桁が特徴。昭和11年に「溝形下吊併用補強」と呼ばれる溶接補強を施していることが特徴。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した橋りょう。鵜ノ川の氾濫に備えた避溢用水路に架かり、自然災害を未然に防ぐ鉄道システムの遺構。上部工は、支間15.90mの上路プレートガーダで、腹板の補剛材は上下端を折り曲げたポーナル桁が特徴。昭和11年には上下のフランジ外側に溝形補強を施している。
明治32年(1899)に京都鉄道が建設した橋りょう。鵜ノ川の氾濫に備える避溢用として建設されたが、現在はその役割はない。半径5フィートの半円アーチを2径間用い、レンガは長手積み4枚巻、側壁部をイギリス積みとし、坑口のうち線路左側(上流側)もイギリス積みとしていることが特徴。